7年間共に過ごした文鳥を忘れないための記事

2020/5/2、世界はコロナショック真っただ中だ。大学三年となり日々実験とレポートに追い回される日常はもうすこし後のことらしい。

どこから話そうか 我が家には一羽の文鳥がいた。小さな体にもかかわらず僕の人生に大きな影響を及ぼしたもう過去形でしか表すことのできない大きな存在が。

 

確か初めて我が家に来たのは僕が中1のころ、つまり2013年の春だ

飼い始めた経緯としては、成人した今でこそヤバイことだとわかっているのだがシジュウカラという野鳥の雛を学校の帰りに連れて帰り飼い始めたところから始まる。

昔から昆虫やらトカゲやらを捕まえては虫かごに入れて観察するような地方都市に住んでいるにもかかわらず昭和の子供のようなことをしていた僕であったから、巣立ちしたばっかりの野鳥の雛を長期飼育しようと決断するのは考える間もなかった。鳥かごを用意し、水入れ、エサ入れなどを速攻で買いそろえていざ飼育──と意気込んだのはいいがものの2日でケージの底で息絶えているのを学校帰りに発見した記憶がある。遺体は稲荷神社の花壇のところに埋めた。正直埋めるための穴を掘っているときは悲しみよりも神社の人にバレてしまわないかといった不安のほうが大きかった。

 

初めての鳥飼育は颯爽に終わってしまった、しかし好奇心旺盛な中学生がそのわずかな日々で満足したはずもなく気が付けば親に文鳥をねだっていた。

オカメでもなくセキセイでもなく文鳥を選んだいきさつについてはあまり覚えていないが、確か鳴き声があまりうるさくなく静かで飼いやすいといったことが決め手だったと記憶している。

 

そんなこんなでやってきたホームセンターの一角にあるペットコーナー、春の桜も緑深くなっていった時期に目の前に現れたのは3羽の文鳥の雛であった。

白文鳥1羽、桜文鳥2羽、そして店員さんと僕と母で別室の中に入りどの子を連れて帰るかの短くも長い時間が始まった。いろいろとみていた後、ネットで鵜吞みにした情報である「尾羽がきれいなヒナ」が決め手となりこの先7年共に過ごす文鳥が我が家に来ることとなった。

早速我が家のリビングで箱から出したところ見慣れぬ環境のためか、もしくは興味津々な少年3人を恐れたのかカーテンの上に大至急飛んで行った。

名前はピーちゃんとなった。わんこならポチ、ネチコヤンならタマといったように小鳥ならピーちゃんである(個人の見解です)

そんなピーちゃん、放鳥のたびにビビりまくりカーテンの上に避難していたのだがそこは流石に手乗り訓練された鳥である。僕の手には2日ほどで乗っていてくれるようになった。

そこからはもういろいろと早く、エサ(ミックスシード)を入れたビンを上下に振りチャッチャと音を鳴らし僕の手のひらにエサをまく。生物の教科書に載っているようなコッテコテの条件付けによって飼い始めてから一週間で手のひらを見せるだけで飛来してくれた。

 

こうして人間の手だいすき鳥となった我が家のピーちゃん、初期のビビりまくりはどこへ行ったのやら目立ちたがりだということも判明した。

放鳥中家族がテレビを見ているとテレビの前の3色コードに飛来し注目を集めるのである。猫は主人がかまってくれないとスマホの上で寝転んだりノートパソコンの上で自らがキーボードになったりと邪魔をしてくるのはよく知っているが、まさか文鳥までもが目線の先に飛んでくるとは思ってもいなかった。うちのピーちゃんだけだろうか?

飼い始めてから1か月も経つ頃には放鳥しながら勉強するのがルーチンとなっていた。

当時ネットで見聞きした「握り文鳥」なるものに挑戦もしてみたがそこは遊び体ざかりの生後3か月、人間でいうところの小学校高学年くらいのお年頃である。いくら大好きな手のひらといえども動きを封じられるのは御免被るらしい。ケージに帰るために捕まえられることを含め、握られると察するや否や途端に逃げの一手に回り始める。この時の手の動きの未来予測精度は半端ではない、サトリの妖怪かなにかである。けれども指にささくれを見つけた途端、執拗にささくれをはがそうとしてくる。犬猫と違い鳥類のやつらは3次元運動をするからタチが悪い。お菓子なんてとても食べれたものじゃなかった。

 

勉強してる最中にはよく机の奥へ行き探検をしていた、そこで指先を近づけるとキュイーキュイーと鳴き始めるのである、いわゆる発情の鳴き声というものである。一方指先の代わりにシャーペンを近づけると豹変してクルルルル!といったように威嚇しはじめペン先に猛攻撃を仕掛ける。近づけなくてもシャーペンの場合わざわざペン先の芯を折りに出張してくることもあった、ことにペン類とはとことん仲が悪いらしい。

 

基本的に人間サイドが食事中の時に放鳥はしないのが当たり前である。がしかしある日の放鳥中、父が遅めの夕食としてうどんを食べていたのだ。文鳥サイドとしては気になって仕方がない。

いざうどんへ特攻! と飛来し顔を容器の中に向け入れた瞬間、湯気に飲まれたのであった。それ以来うどんのような湯気の出るものには近づかなくなったというのだから面白い。

 

少し話はずれるが生き物を飼うとその生態をまじまじと観察できるというのが最大のポイントであると僕は考えている。

話を戻して文鳥においてもピーちゃんは様々な行動を見せてくれた。

豆苗などの細長いものを食べるときは某ハンティングゲームに出てくるリオレウスの如く足で押さえつけて食べるということ。

クチバシに水やエサが付いていた時は止まり木やら僕の手やらで器用にふき取ること。

スサー×2とのび~×1は1セットだということ。

匂いを嗅ぐと駄菓子屋のカレーフレーバーのようなにおいがすること。

冬毛の時の団子と夏毛の時の首の伸びは意外と目を見張るものがあるということ。

家族いわく僕が帰宅するときはテレパシーでもあるのかドアが開く前に報知器の如く鳴きはじめるということ。

手のひらの上で寝てくれるとおなかがくっついて熱いということ。

 

この7年間いろいろな姿を見せてくれたピーちゃん。当然ここに書ききれるほどではない。

僕はまだ所帯を持ったことがないのでわからないが自分の部屋で待っててくれる存在がいるというのはとても大きいことであると考える。実際手を出せば乗ってくれるし首元をモフれば求愛しはじめる、もはや相思相愛である。人間の彼女ですらこんなデレデレになることはなかったぞ(ちくしょう)

 

そんなピーちゃんも2020年で7歳となった。人間でいえば結構いいお年寄りである。

ネットででは老鳥になると足腰が弱ったり飛べなくなったりするというのだがうちのピーちゃんはそんな様子を一切見せなかった。それどころか僕のお菓子を加えて走りまわり飛び回りする超アクティブ鳥だった。

 

そんな無敵のピーちゃんが急変したのは3日前からである。

 

死の3日ほど前から日中どころか一日中ヒーターの前で寝ている姿が見られるようになった。一週間前にはめちゃめちゃ元気な姿をスマホのビデオで撮影している、そのため飼い主の僕はおや?と思い一日のほとんどを観察に費やすこととなった。

フンを見てみても異常はない、となると消化不良等ではないなとド素人なりに勝手に決めつけていた。左手にピーちゃんを乗せながら文鳥の救急箱という本を開きかたっぱしから読みあさっていた。例年だと無精卵を産む時期だったということもあり卵詰まりなども考えたが、触ってみたところ固い触感はない。無論柔らかい殻の卵が詰まっている可能性もあるため卵詰まりではない確証はない。この日はまだエサも元気に食べていていつも通り子気味のいい音を鳴らしながらついばんでいた。

 

死の2日前、相変わらずヒーターの前でずっと寝ている。病気の小鳥は暖かくしたほうがいいとのことで春の訪れとともにしまった保温カバーを再びケージに被せた。この日もいつも通り放鳥をしたのだが前日と少し様子が違う。

放鳥中にも関わらず一切飛ぼうとしないのだ、いつもなら探検やらスマホをいじっている右親指に飛んでくるのだが一向に左手の中から出てこようとしない。

そこでピーちゃんを机の上に置き、2メートルほど離れてみたところ飛ぼうとする予兆は見られるものの実際に飛んでくることはなかった。ちなみに7年も飼っているとだいたい文鳥が何をしたいかというものがわかってくる、飛ぼうとする前兆はかなりわかりやすい。少ししたあと文鳥が気の毒になり左手を差し出した、するといつもの元気なジャンプで手のひらに戻り再びお餅の姿となった。

それから僕はベッドに移り左手の灼熱を感じながらスマホをいじる作業に戻った。

少しした後ピーちゃんをケージに戻そうと動いたときに違和感を感じた。足の握る力が弱いのである、少し揺らせば手から落ちてしまいそうなほどの力だった。

ケージに戻してからは速攻でエサ箱に顔をつっこむピーちゃん。僕はそれを確認した後再び文鳥の救急箱のページをめくりはじめた。

昨日あらかた読んだが読まずにはいられないのである、今にして思えばどこか焦燥感もあった気がする。そしてページをめくり続けふとめくる手が止まった。

 

そこの項目の名前は「最期の時が訪れたら」であった。

 

それから翌日は内心ほとんどあせりまくりだった。この日は放鳥の時手のひらの上でエサをあげたり水を飲ませたりといったことをした、普段は数10分放鳥したら水分補給とごはんの為にケージに戻していたのだが、昨日のある1ページを見てからは至れり尽くせりといった様子である。昨日以上に弱まる足の力は昨晩考えた仮説を裏付けるのに十分すぎる要因だった。

そして夕暮れ時になるとさらに異常が加速した。エサをついばみはするもののクチバシが開いていないのである。指先を近づけても甘噛みすらしない。いつもなら条件反射の如く指をガジガジするのだが今日にいたっては全くしなかった。そして脳裏をよぎる"死"の概念、気が付けば飼い主は両手で包み込みながらボロ泣きしていた。すると突然ケージに戻りたくなったのかベッドからケージに飛びうつろうとした、がしかしそれもかなわず飛んでいる最中に地面に落下してしまった。僕はすぐさま手ですくいあげケージに戻した。すると止まり木にすら止まり続けることができずケージの底に落下した。もう頭の中がほぼ真っ白になりつつもエサ箱と水とヒーターを全部床に置き上らなくてもエサや水に口を付けられるようにした。

しかしわずかな希望的観測をしたがるのが多く人間の性だと僕は考える、スポーツドリンクの粉末を日本酒用のおちょこに入れ水を加えてスポドリを作った。手の上でそれを近づけるとピーちゃんはクチバシを相変わらず開けないものの、喉が動いていてどうやら飲んでくれているようだった。この時既に夜20時を回っていたため動物病院には翌朝行こうと考えていた。もはや固形物は食べてくれなかったためこのスポドリも明日の病院に間に合わせるためのものとして考えていた。

 

そして7年連れ添った文鳥が死んだ日の朝。

朝起きて速攻で動物病院に電話した、「今から10分後に伺っても大丈夫でしょうか!?」と半ばあせりふくんだためか少し日本語が下手になってしまっていた。

大きいケージをそのまま持っていくわけにはいかないためたまたまあった虫かごにタオルを敷き詰め、一枚下にカイロを置いて即席の移動用ケージを作った。電話にてクレジットカードが支払いに使えるとのことでATMでお金をおろす時間すら惜しかった自分にしてはカードがこれ以上ない福音に思えた。

着替えも終わり虫かごにピーちゃんを入れるときもはや抵抗すらなかった、本来ならば是が非でもこんなせまい虫かごの中には入ってくれないことである。頭の中でそんなことを想像し現在目の前の現実と照らし合わせるともう飼い主ガチ泣きである。

バッグに虫かごをいれなるべく振動を与えないように自転車をこいで病院に到着し受付のお姉さんに電話で話した○○ですと伝え問診票を渡された。書き終わり提出した後はずっとピーちゃんを見ていたような気がする。慣れない環境に突然連れてこられたためか呼吸は乱れあれだけ寝てた昨今ではありえない全く目を閉じないピーちゃんをずっと見つめ、ときに頭をなでたりしていた。

診察の順番が回ってきて診察室に通され先生に診てもらった、まったく抵抗しないピーちゃんを持ち上げ聴診器をあてがい、そして外すと一言

 

 

「かなり厳しい状態です」

 

 

昨日から最悪のケースは想定していたためショックはそれほど大きくなかったがそれでも十分に心に刺さる一言であった。

文鳥は普通心臓の鼓動の速さがとても速くて聞き取れるほどではないが容易に心拍が聞こえるほど衰弱しているということ、そして呼吸音も異常が聞き取れるとのことからピーちゃんは末期の気嚢炎(人間でいう肺炎)であることが告げられた。

そのあと先生からは「今日は仕事とかありませんか?」と聞かれはいと答えるとならば今日はずっと寄り添ってあげてくださいと言われた。

その後点滴用の袋に液体を入れて作った即席の湯たんぽとバスタオルで虫かごを包み、ピーちゃんをその中に戻して診察終了だった。

会計は診察料と万が一回復するかもと出された内服用の薬を合わせて2200だった、どうやらバスタオルと湯たんぽの料金はサービスしてくれたらしい、この記事を書いている今になってとてもそれがありがたく思える。

帰宅後、先生から言われたように虫かごの中にヒーター、水、エサをいれて狭い空間で温度を高くする環境をつくった。ピーちゃんを一度カゴから取り出すときさらに足の力が弱まっていることに気が付く。そして再びカゴに戻すと最初はエサをついばんでいたもののしばらくすると僕のほうを向いてクチバシを虫かごの壁にコツコツとあてていた。僕はベッドでしばらくスマホをいじっていたものの目を虫かごに戻してみるとまだこちらを向いている。眠らない様子が心配になり手にのせてみると安心したのかすぐに目を閉じて眠り始めた。その様子を見て僕はいままで築き上げてきたピーちゃんとの信頼関係はとてつもなく強固であることを感じた、それと同時に涙が止まらなくなっていた。

そして時間は過ぎ夕食の時間。流石に文鳥を握ったまま夕食をとるわけにもいかないので虫かごに戻した。自室を出る際ずっとこちらを見つめていたのがよりこの状況の悲壮感を増した。

 

味の感じられない夕食をとった後自室に戻り手のひらに文鳥を乗せる。病院からもらった薬を飲ませてしばらく手にのせながらスマホをいじっていた、もうそのころはこの先の未来をより強く感じていたので泣きながら「泣く」についてwikiで調べたり文鳥についていろいろ調べたりしていた。

そんなことをしているうちに弱弱しい力を振り絞り手のひらからピーちゃんが抜け出した。ベッドから落ちるのはマズイと思いすぐさま捕まえて手のひらに戻す。

もしかして?と思いいつも過ごしていたケージの前に文鳥を近づけると明らかにケージ内に戻ろうとする素振りを見せた。やはりいつものケージが落ち着くのかと戻してあげると止まり木に無事捕まることができていた。昨晩は捕まり続けることができずに落下していたため大きな進歩だと思い虫かごに入れていた諸々をすべてもとのケージに戻した。するとピーちゃんは一度も眠らなかった虫かごとは対照的にすぐさまヒーター近くの止まり木で眠り始めた。

その様子をみて一安心したのか僕は急激に睡魔に襲われベッドで明かりをつけたまま夜20時、眠ってしまった。

 

22時頃に再び目が覚めた。いつものパターンなら深夜2時くらいに目を覚ますのだがこの時間に起きたことは今思うと奇跡だとしか言えない。

ケージを見るとピーちゃんが止まり木ではなく床に座って寝ていた。考える間もなくすぐさまケージから出し手のひらに乗せた。クチバシの色は一目でわかるほど紫がかり、足の指はもう力が入らないのか手の上でも丸まったままだった。呼吸のときの体の動きは見たことがないほど大きくなり息を吐くたびにキュツキュッと喉を鳴らしている。

僕ももう悟り、両手で包み込んで頭をなでていた。なでているときこの7年間の思い出を振り返りながら涙を流した。

 

30分くらいした後、ふとずっと眠り続けていたピーちゃんが目を開き、手のひらをクチバシの先で盲人が杖でつくようにツンツンとつつきはじめた。指先を近づけるといつものように指先をあいさつ代わりにつついてくる。

 

そしてとても小さい声で鳴き始めた、僕も普段のようにへたくそな口笛で返事をしてあげた。

 

その最中ついに首を持ち上げることすら難しくなったのか頭を下げた、僕はいつでも僕の姿が見えるようにピーちゃんの目がこっちに向くように頭を動かした。

 

そういった門答弁した後、僕に対して横向きだった体を不意に僕の正面に向けた。

弱弱しく、たった2歩である。

 

そして最期のとき

 

 

 

ここ3日じゃ聞いたことのない今まで通りの元気そうな、

大きな、

7年間幻聴が聞こえるほど聞き続けた声で

 

 

 

1回鳴いて

 

 

翼を少し開いて全身で手のひらに体をうずめるように突っ伏して

 

 

 

 

呼吸が止まった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間は時間が止まったように思えた、それと同時に手のひらの上で最期を過ごしてくれたことがこれ以上ないピーちゃんからの感謝の気持ちだと思った。

 

 

 

 

遺体を整え、いろいろな思い出をふりかえり、しばらくして家族に報告しに行った。

ピーちゃんを埋める際の箱はなにかないかと聞いたところ父が何かの5周年の空き箱を渡してくれた。開いてみると中にはレース状のかざりのようなものがしいてありピーちゃんの棺桶には最適であった。ピーちゃんの体を箱に入れ、エサ箱のミックスシードを棺桶の中に入れた。

あと止まり木もケージから外して箱に入るよう短く鋸で切り落として入れた。汚れもたくさんついて新品の見る影もないピーちゃんに染まった止まり木を2本棺桶に入れたところで母が玄関に飾ってあった花を持ってきてくれた。

その後はみんなで棺桶の中のピーちゃんに別れの言葉を言った後ソロキャンプ用のバッグから折り畳みシャベルを取り出した。

埋葬場所は自分がよくお世話になっている神社に埋めることにした。

アメリカにホームステイする前、全国大会で大分県に行く前、世界大会でまたアメリカに行く前毎回お祈りしていた神社だ。

 

時計は23:30を指した深夜にピーちゃんの棺桶とシャベルを持って神社へ向かった。

幸い世間は自粛ムードに包まれているため人は一人もいなかった、不審者として通報されてはたまったものじゃないので不幸中の幸いだった。

 

何度も訪れたことのある神社だが、最近観光に力を入れ始めたのか以前立ち寄った時よりすこし小綺麗になっていた。家と同じ町内にあるのに意外と気づかないものだ。

深夜の境内を一通り歩いたあと台風で数本長寿の御神木が折れる中、数少なく健在する大きな御神木の根元に埋めることにした。石柵をはさんですぐ拝殿のある場所に生えている、相当ご利益のありそうな御神木だ。

 

シャベルを組み立てて掘り始める。木の根に度々当たるのでそのたびに穴を拡大して根を傷つけないように掘っていった。

 

そして棺桶が十分に入りちょっとやそっとじゃ地上に出てこないであろう深さまで掘り進めることができた。

棺桶を埋める前にフタを開けて本当に最後のお別れをした。何度もなでてきた頭をそっとなでて自分の顔に近づけた。いつものような匂いはもうしなかった。けれどもいつものように柔らかい羽毛は健在だった。

 

ピーちゃんを棺桶に戻し穴に入れ、土を上から被せていった。

被せるたびに見えなくなっていく棺桶をみて正真正銘今生の別れだと感じた。

 

土を被せ終わり、周りとあまり変わらないように整地してシャベルをバッグにしまった。

 

 

 

それから手水舎に向かい、両手を洗った 流石に口は昨今の御時世だとマズイので遠慮させていただいた。神様もご容赦してくださっていると思っている。というか順序がおかしいと思うがこの際なので開き直って参拝した。

お賽銭は5円玉を2枚、総じて10円だ。最近なにかの記事でお賽銭の金額はご利益に関係ないと読んだ気もするが僕は由緒正しき日本人なのでゲン担ぎがてら僕とピーちゃんのご縁をありがとうと2枚賽銭箱に入れた。

拝殿は扉が閉じていたが本坪鈴を鳴らし、二礼二拍一礼をしてピーちゃんをよろしくお願いしますとお願いした。理系に進んでからというもののこういったスピリチュアルなことは大方信じられなくなってしまったのだが、こういった神様や妖怪の文化はとても素敵なことだと思うので心のどこかで「存在していてほしい!」といった幻想を抱えたままである。

 

 

参拝を済ませ、帰宅した後母から「飲むか?」とLINEが届いた。僕が買ってきた秘蔵のワインを開けようとしていたためすこし迷ったが、その時僕の中でこの最期を忘れないようになにかに書き留めておこうと思っていたため飲酒はマズイと思い炭酸水の缶を拝借させてもらった。

 

そしていざ書こうと思いPCを立ち上げた矢先、机の下敷きにはさんであるピーちゃんの風切り羽の存在を思い出した。この羽の話をするにはまず僕の自室のあれこれを話さなくてはならない。

僕の自室は中学から高校に進学する際に部屋を変えている。ピーちゃんを飼い始めたのは中学生の時からなので当然僕の自室で飼っていたピーちゃんもお引越しをしたわけだ。部屋を移動してから初めての放鳥のとき、引っ越し祝いなのか風切り羽を1枚クチバシで咥えて手のひらの上に置いてくれたのである。おそらくたまたま手の上で羽繕いしていたら抜けてしまったのだろうがいかんせん状況が状況なもので引っ越し祝いとして受け取らせてもらい、机の下敷きの下に約5年間保管させてもらっていた。

そんなことを思い出し下敷きをめくろうと机の上のPCをどかしたところ、そこにはもう1枚風切り羽が。

たぶん命日の2日前に放鳥した際僕がトイレに行っているスキに羽繕いをしてぬけたのだろうと思う。本人(本鳥?)からしたら闘病中羽繕いしたらなんか抜けた程度のものだろうがまたもやいかんせん状況が状況なものなので、最期の置き土産として受け取らせてもらった。

曰く、ペットと飼い主は似るらしい──とどこかで読んだ気がするが本当に似るものである。僕はハードボイルドなおじさまに将来なりたいと思っているので普段カッコつけてハードボイったりするのですが流石ピーちゃん、ハードボイルドすぎる。泣けるぜ

この羽はまだ保管しているだけだがそのうち何かしら加工して保存できるようにしておきたい。せっかくの置き土産と引っ越し祝いを無駄にできない。

 

今大体9300文字であるがピーちゃんと共に過ごした7年間にはとても足りない。しかし人間はどんなことでも記憶を忘れたり改竄したりしてしまう。よってこのように記憶が新鮮なうちに書き記すのが大事だと僕は思っている。この先僕はまた文鳥を飼うかもしれない。もしくは文鳥じゃなくてオカメインコや犬猫かもしれない。いずれにせよ大事なのは最期に残ったものだ。

僕とピーちゃんの7年間は何物にも替えがたい大切な思い出であり、この先なにかペットを飼ってもそれはピーちゃんではない。人間は一般に買われるペットに比べて長寿である、ゆえに大半は自分よりペットが先に逝く。だからこそ今目の前のその子との思い出を振り返った時にお互い良い信頼関係を築け、幸せな時間を過ごせたと思えたのなら万々歳である。

今混沌とした世の中で7歳という文鳥の平均的な寿命を全うできたピーちゃんは幸せ者だと思う。もしこれが僕のエゴだとしたら天国で思う存分つつくがいい。

 

だからこそ可愛いピーちゃんに天国で顔向けできるような人生を送りたい。もしかしたら僕が天国に行く頃にはもう少し僕を待っててくれている動物が増えるかもしれないがその子たちも生きている間は幸せにしてあげようと思う。

 

けれど今はとりあえず一区切り、ということで

 

 

7年間ありがとう、ピーちゃん

 

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